『木による形象』
大石 雅之(team Timberize)
近所の大きな公園の中に手入れの行き届いた梅林がある。休日にその下で家族と過ごすことがあるのだが、よくよく見てみると大変奇妙な形の枝ぶりになっている、なにがおきてこうなるのか!?と見れば見るほど不思議で複雑な形態に驚いてしまう。花も実も楽しめる梅の木だが、ちゃんとした剪定方法があるらしく、枝は短いほうが多く実がなるため、花後は長枝を切り落とす、そして収穫後の剪定に加えて、冬季は樹形を整えるために枝を切り、と比較的早く成長する梅の木にあわせて剪定される。時間をかけて幾度も人の手が加わることで、生命的なものと美的なものとが均衡しつつ、自然の中に新しいかたちが発見されて興味深い。
自然の中からそっとその一部を切り取ってきたような木の扱いもある。令和の大嘗宮でも使われた黒木造りは通直完満なカラマツなどの皮付き丸太をそのまま利用した造りで、素朴で簡潔な工法によって見事なかたちで祭祀のための殿舎に使用されている。感覚でとらえたものや心に浮かぶ観念などを具象化することを形象というが、古代より受け継がれてきたこの工法は、自然観や生命観などが形象化された原初的な事例といえる。自然を神聖なものとする神道は、自然への畏敬の感覚が丁寧にかたちや空間へおとしこまれ、儀礼も含めて多義的に蓄積された集合体だと私は思っている。
このようなことを意識的に考えるようになったのは、中野区にある新井天神北野神社の拝殿を設計する機会をいただいたことがきっかけである。一般的に神社の形式といえば伊勢神宮の神明造りや出雲大社の大社造りといった代表的なかたちを思い浮かべる。その歴史の長さから、例えば、そこで祀られているご神体ごとに類型が細かく分かれ、部材の細部にわたって形式が決まっているものだと想像して施主打合せに臨んだところ、(今回は本殿ではなく拝殿の設計であることも関係していると思われるが)厳格な決まりはないという。これだけ継承されて定着してきたものにはルールがあるものだと思っていたが、それは逆で、各地で発生した民間信仰をまとめることで生まれた姿はさまざまであり、その多様さを受け入れてきたからこその継承なのだと考えられる。また、形態の多様さが生まれた背景として、神道が神像をもたないことも大きく関係しているように思う。
なにはともあれ、設計はすすめなければならない。いろいろと迷いながらも、いつものとおり配置計画から考えはじめた。この境内で神域の核となすのは本殿であり、参道の鳥居から本殿までのあいだの空間を、既存の環境を損ねることなく、拝殿を新しくする必要があった。模型をつくり、ボリュームで考えてみると神社境内の中で屋根形態が大きく特別な存在としてあり、その形態が自然との均衡をとりながら、境内空間の質を決定していることがわかる。本殿と拝殿との間の空間、拝殿と神楽殿や大鳥神社との屋根同士がつくる空間が、日常生活に寄り添いながらも、時に身の引き締まるような空間にもなるように意識した。誤解を恐れず言えば、その形態と環境を成立させることが神道にとっての神像なのであろう。そして、古代からその形態の多くは木によって造られてきた。
現代ではコンクリート造も含めて木造以外の構造で御社殿をつくることはそれほど珍しいことではなく、今回、大断面の白木を手に入れることの時間的制約や性能的側面から、拝殿の構造は鉄骨造が選択されている。そこには、古代からの形式を踏襲した木造でなければならない、構造から木で作られなければ本質的ではない、といった考えはない。先述したような長い時間をかけて形象化されてきた空間形態の質を大切にしながら、時代ごとの出来事に形を変えつつ適応していくような在り方を探っていった。そのように考えると、鉄骨造であることを隠す必要はない。鉄骨柱や梁は露出させて、一方で、祭祀のためのスペースについては、神具との関係などを考慮して尺貫寸法を採用し木材で仕上げた。鉄骨梁によって幣殿側の屋根は1間の張り出しによる軒ができ、また、拝殿側面の立面において柱が屋根まで到達していないことや、鉄骨のダイアフラムをよけながら木で仕上げることで生まれる柱梁接合部の組み合わせ、など木造の構法からは生まれない新しい表現がでてくることとなった。
形象化された木の存在は、建築的な視点とともに思想や信仰といった視点もあわせてみることで、時代とともに更新されていく様子も含めて現在進行形で楽しむことができる。そこには宗教というくくりを超えた、ゆるやかな形式がもつ奥行のある魅力があるように思う。
新井天神北野神社ホームページ araitenjin.com