もくたび vol.001
2017/4/19

『新発田カトリック教会』
 久原 裕(team Timberize)

新発田カトリック教会
設計:アントニン・レーモンド、ノエミ・レーモンド
施工:新発田建設
竣工:1965年
用途:教会
所在地:新潟県新発田市中央町1-7-7

妻が生まれ育った新発田は僕の第二の故郷である。父の仕事の関係で生まれてから少年期まで過ごした愛知が故郷なのだが縁故はなく、青年期以降を東京で過ごした僕にはやや遠い場所だった。その後、勤めていた設計事務所のプロジェクトで数年間を新潟で過ごし、妻に出会って盆と正月に帰る田舎が初めてできた。
新発田カトリック教会はアントニン・レーモンドの設計で、小ぶりだが大胆なデザインが施された、レンガ造+木造の良質な建築である。春に帰郷した際、前を通り掛かったので中を見ようとしたが、予約しておらず叶わなかった。このことをFacebookに書いたところ山下真君が案内してくれるという。ビッグプロジェクトだった新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の現場事務所には新潟大の学生が何人も模型製作に来てくれていたが、そのリーダーが当時大学院生の山下君だった。いつも落ち着いた柔和な雰囲気で、後輩たちをまとめながら巨大なスタディ模型を幾つも作ってくれたものだが、時は流れ、今や新潟市内に設計事務所を構えて建築家として活躍中である。久しく年賀状のやり取りをする程度だったが、新発田がきっかけとなり再会することにどこか縁を感じる。
ところで今回の見学に際しては、新発田カトリック教会の神父様から一方ならぬご厚意をいただいた。山下君の先輩の建築家の方が神父様とご縁があるそうで、貴重なお話をたくさん伺うことができた上、通常は見られない裏の司祭館(設計はレーモンド)も拝見させていただけた。心よりお礼を申し上げます。

じりじりと太陽が照り付ける夏の昼下がり、教会の前で山下君に会う。15年近く経ち彼もいい年齢になっているはずだが、見た目も雰囲気も若々しく当時と少しも変わっていない。純粋に建築が好きで、建築の設計をやっている人に特有の歳の取り方である。よく言えば若い、悪く言えば貫禄がない。自分もそうなのでよく分かる。
新発田カトリック教会はその佇まいが素晴らしい。木立の中にレンガ積みの壁が立ち上がり、その上に金属屋根が六角形の平面に沿って折れ曲がりながら、低い構えで架かっている。屋根の奥に十字架を載せた小さな尖塔が載っており、グラフィカルな和紙のステンドグラスが印象的だ。周囲を歩きながら見ていると、これらの要素の重なり具合や形の見え方が刻々と変化して、飽きることがない。もっとも我々が現在目にしているファサードは、厳密に言えば創建当初とは違うものである。数年前に拡張された前面道路が、玄関の前に広がっていた庭を削り取ってしまったのである。それでも関係者の尽力により、当初計画よりは歩道が広がるなど改善された形となったらしい。レンガ積みの壁は、レンガを縦横に組み合わた中に補強鉄筋とコンクリートを打ち込む工法により作られており、これを基壇としてスギの丸太の架構が載せられている。その取合いのディテールはハッキリと分からないのだが、丸太は外壁を突き抜けてバッサリと裁断されている(ように見える)ため、いかにも無造作に文字通り「載せられて」いるように感じられる。厳格なモジュールによる堅くて密実なレンガ壁と、ルーズで柔らかくスカスカな木の屋根組み。異なる2つの構造体が、空隙も緩衝材もないままに直接的に接合している。その唐突さがとても潔く、却ってそれぞれの特質を引き立て合っている。


内部に入ると、正面に見える祭壇を囲むように六角形の平面形に沿って信者席が配置されている。これは教会建築としては珍しい平面形式である。内部空間の形はレンガ壁によって明確に規定されており、とてもすっきりとした印象である。一方、レンガ壁の上から唐突に現れたスギ丸太の登り梁は、複雑に組み合わされながら折れ曲がる屋根を形成し、内陣の小さな六角形へと集まっている。これは外観で特徴的だった尖塔にあたる部分で、高い吹き抜けから光が降り注ぐ。
尖塔の下に立って見上げると、精巧に見えるその小屋組が実は微妙に合っていなかったり、通りがずれたりしていることに気付く。基本ルールを緩やかに守りつつ、一本ごとに異なる性質を持つ木の特徴を活かして、適当に帳尻を合わせながら全体を作っていく。実に木造的な発想方法である。これが木造的な精度の出し方なのであり、この良い意味でのルーズさこそが木という材料を取り扱う術なのだ。こうした小屋組を作り上げるために宮大工の棟梁が腕を振るったそうだ。殊に尖塔中央の束材を入れるのが非常に難しく、三回やり直してようやく納まったらしい。ともあれ、外観から感じられた2つの異なる構造体の邂逅が内部ではより強く表現されており、絶妙なバランスの上に静謐な空間を作り上げている。
小屋組には相当量のスギ丸太が使用されており、信者の頭上のかなり低い位置に掛っている。そう聞くと圧倒的な存在感を想像するかもしれないが、実際には圧迫感はなく、感じるのはむしろ落ち着きや心地よさだったりする。その理由はおそらくスギ丸太にある。丸太の表面は荒く仕上げられており光が乱反射するため、小屋組のまわりで光は不均質に拡散し、滞留し、減衰して消えていく。小屋組の輪郭はおぼろげになり、木の存在が希薄になるために包まれるような感覚が生み出される。
 この教会は、音響的にも大変素晴らしいということだ。木の小屋組が音を乱反射して優秀な音響装置の役割を果たしているのだろう。教会では音楽が美しく響き、同時に説教が明瞭に聞き取られなければならない。なかなか難しい音響設計が要求されるため、名作と言われている教会建築の中には司祭の立場からすると到底耐え難いレベルのものもあるらしい。
建材は基本的に地元のものを用い、施工も地元の会社が担当した。そこには苦労もあったはずだが、竣工後に地元に技術を残し継承してほしい、というレーモンドの強い意向があったらしい。椅子や燭台、和紙のステンドグラスなどは、レーモンドの妻であるノエミによるシンプルで美しいデザインである。椅子は座面のペーパーコードを貼り替えながら、当初のものがそのまま使われている。和紙のステンドグラスは結露に耐えられないので、信者の方たちが毎年張り替えるそうだ。この教会は、使う人たちの愛情がたっぷりと注がれて、大切に手入れされながら使われている。物事はそのようにあるべきだし、そのようなあり方に応えて味わいを増していくのが木という材料である。

山下君と僕は神父様にお礼を言った後、また教会の周囲をそぞろ歩いて外観を堪能した。夢中で建築を見ているときは感じなかった暑さがじわりと押し寄せてきたため、涼を求めて内井さん設計の新発田市民文化会館に車で移動する。鉄筋コンクリート造の重厚な空間は、今見てきたばかりの教会とはあまりに対照的だ。カフェで教会のことや昔のこと、最近のことなど話して旧交を温める。夕方が近付き真夏の日差しは少し弱まったが、盆休みの新発田の街にはほとんど人影がない。人が集まるような場所が街の中心にないのだ。工事が着々と進んでいるヨコミゾさん設計の新市庁舎は、そんな街を変えることができるだろうか。

おわり